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山口地方裁判所岩国支部 昭和40年(わ)4号 判決

主文

被告人を懲役三月に処する。

但し、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一被告人の地位

被告人は、本件発生当時、岩国公共職業安定所(以下岩国職安という)に失業対策事業紹介適格者として登録されている者を中心として組織されている全日本自由労働組合山口県支部岩国分会(以下全日自労岩国分会という)の委員長の地位にあったものである。

〔右事実は、被告人並びに証人松林熊雄、同吉田治平、同矢田恒夫の当公判廷における各供述によってこれを認める。〕

第二本件発生に至るまでの経緯

(一)  昭和三八年八月七日法律第一二一号により、職業安定法並びに緊急失業対策法の各一部改正が行われ、主として、中高年令失業者等に対する就職促進の措置に関する規定(職業安定法第二章の二)をもうけ職業安定法に定める就職促進の措置を受け終り、引続き誠実かつ熱心に求職活動をしているものでなければ失業者就労事業への紹介適格者たりえないとし(緊急失業対策法一〇条二項)、あらたに高令失業者等就労事業に関する規定をもうけ、これを昭和三九年四月一日から施行することとした(同法第一一条の二、同法附則第一条)。

これに対し全日自労は、右法改正は、失業者をあらたに失対に入れず且つ既に失対に入っている者はこれから追い出すことを目的とするものであるとしてこれに反対し、全日自労岩国分会も、高令者等就労事業の新設は、失対を二分化するものであり、失対の打切りにつながる等の理由で右法改正に強く反対していた。

(二)  ところで山口県は、昭和三九年四月一日から、県が事業主体となって行う失対事業(いわゆる県営失対)を実施することとし、その一環として、同年三月末ころ、山口県職業安定課から岩国職安に対し、県立岩国商業高校及び同岩国工業高校の清掃除草作業に年間一、〇五六名の紹介を求めた。

右紹介要求に対し、岩国職安では、右県営失対の作業内容、賃金等に徴し、これとほぼ同種同等の作業内容を有する横山公園の清掃、除草作業(岩国市営失対)に就労している者の中から輪番制により紹介することを考え、同年四月一日、横山公園においてその説明会を開いた。

これに対して全日自労岩国分会は、右県営失対は、作業内容賃金その他からみて、高令者等就労事業(いわゆる高令失対)の布石であり、作業内容が同種同等の市営失対に比し、賃金が一段階低いことその他の理由により、県営失対に紹介されても就労を拒否するという態度に出た。

(三)  そして、全日自労岩国分会は、前記の理由のほか、紹介の方法を、同意すると否とに拘わらず紹介を行ういわゆる強制紹介をやめて、希望者だけを紹介する方法に改めること、宇部職安においては県営失対への紹介をしていないのだから岩国職安においても紹介を中止すること、昭和三九年四月分以降の市営失対の新賃金がまだ決まっていない時点において、賃金が市営失対よりも一段格差の低い県営失対への紹介を避けるべきであること等を主張して、県営失対への紹介の中止ないし紹介方法紹介時期の変更を求めて岩国職安に対し交渉を要求していた。

そして、岩国職安と全日自労岩国分会との間において数回にわたり話し合いがなされた(同年四月三〇日に行われた話し合いは、岩国職安側三名位と全日自労岩国分会側約一二、三名で行われたが、岩国職安所長重岡勇が約束の時間が過ぎたため、話し合いを打切って退室しようとすると、全日自労岩国分会側の者はこれを押し返して結局退出できなくさせたり、更に岩国職安労働課長森政関雄が用便のため退出する際女子の就労者が同労働課長の両脇をかかえて出るというような雰囲気のもとで行われた。)その結果、岩国職安側も、一時県営失対への紹介を延期する措置をとったこともあったが、基本的には、県が事業を実施する以上、これに対する紹介は続けるという態度をとり続けていた。

(四)  このような岩国職安側の態度に対し、全日自労岩国分会側は同年六月九日、全員集会を開いて岩国職安に対する斗争を強める方針をとることとし、岩国職安に対し、更に再三にわたり県営失対問題について話し合いの機会をもつよう要求していた。

そして、同年六月一〇日、被告人は、森政労働課長に対し、翌六月一一日話し合いに応ずるよう申し入れたところ、同労働課長は、所長と相談したうえで回答する旨を答えていたが、その後六月一一日は不在であることを理由に右申し入れをことわった。

そこで被告人らは、六月一二日午前八時ころ、岩国職安に赴き、再び森政労働課長に対し、県営失対問題及び七月分の紹介方法について話し合いに応ずるよう申し入れたところ、同労働課長は、これらの問題につき、所長と相談のうえ、同日午後三時に回答する旨約束した。その後所長及び同労働課長は、翌一三日に行われる会計検査院の会計検査の準備等の用務のため大竹職安に出張することになったため、同労働課長は被告人に対し、時間を繰り上げて同日午後一時に回答する旨申し入れたが被告人は、他の組合員等に対する連絡が間に合わないことを理由にこれを拒否した。そこで同労働課長は、所長と相談のうえ県営失対問題については、県が事業を中止しない限り県営失対への紹介は続ける、七月分の紹介方法については検討中である旨の回答を文書にして、岩国職安事務官国山に対し、被告人に右文書を手渡すよう指示して所長とともに大竹職安に出張した。

同日午後三時ころ、岩国職安に集まった被告人らは、岩国職安側のとった右措置を不満とし、在庁していた岩国職安庶務課長角田照男に対し、所長や森政労働課長を逃がしたとして非難し、その所在をつきとめるよう要求したがその行方をつきとめることができないとわかるや今度は、角田庶務課長に対し、同課長の責任において翌一三日に被告人らと所長らとが話し合いができるようにすることを文書をもって約束するよう要求した。これに対し角田庶務課長は夜半までかかって被告人らと種々折衝したが、被告人らの強い要求に抗し切れず、さらに事態の紛糾することを避けるため、所長の諒解も得られないまま同月一二日午後一〇時ころ、翌一三日に、被告人ら二〇名が、岩国職安側と話し合いができるように同庶務課長の責任において努力する旨の約束を内容とする確認書を作成してこれを被告人に交付した。その後角田庶務課長は、所長に対し、右確認書を書くに至った経緯を説明してその諒解を得た。

(五)  翌六月一三日午前八時過ころ、被告人ら全日自労岩国分会員二〇名位は、右確認書に基づいて岩国職安側と話し合いをすべく同職安に集合し、同職安側もこれに応じて間もなく話し合いに入ったが、全日自労岩国分会側は六月一一日及び六月一二日に所長、労働課長らが不在であったことを促えて、所長らは話し合いの約束をしておきながらこれを破って逃げたものであるとしてその謝罪を要求する等したため騒然となり、本題に入らないまま(当日前記会計検査が行われることもあって)、同日午後四時から再開することにして同日午前九時前ころいったん話し合いを打切った。

〔以上の各事実は、≪証拠省略≫を総合してこれを認める〕

第三罪となるべき事実

被告人は、昭和三九年六月一三日午後四時前ころ、全日自労岩国分会組合員多数とともに、岩国市大字室ノ木(新住居表示岩国市山手町一丁目一番二一号)所在の岩国公共職業安定所に赴き、同職安西表玄関口において、同職安労働課長森政関雄を介し、同職安所長重岡勇(当時五六年)に対し、前記話し合いの再開を申し入れたところ、同所長から、同交渉人員につき被告人ら四名とでなければ右話し合いに応じられないとしてこれを拒否され、種々折衝したが結局折り合いがつかず喧騒のうちに物別れとなったこと等から、同日午後五時三〇分ころ、同所長が同日の右折衝を打切って他の職員とともに退庁すべく前記西表玄関口から出てきたのを目撃するや、なおも同所長を引き止め、話し合いに応じさせようと企て、突嗟に附近にいた他の多数組合員らと互に意を通じて共謀のうえ、右玄関口前庭において、こもごも同所長に対し、「交渉せえ、所長逃げるのか、話し合いはすんではおらんではないか」等と申し向けながら同所長の前に立ち塞がり、あるいは被告人において、同所長の肩に手を当てて押し戻し、さらになお同職安前の岩国市医師会館前附近から東方約六〇メートルに至るまでの間の国道上において、多数組合員らとともにこもごも「交渉せよ、所長を逃がすな」等と怒号しながら帰えろうとする同所長をとりかこみ、肩肘、胴体で押し返し、もって同所長に対し、数人共同して暴行を加えたものである。

第四証拠の標目≪省略≫

第五弁護人の主張に対する判断

(一)  弁護人の主張の要旨は「全日自労は、職安に対する関係においても団体交渉権を有しており、重岡所長は全日自労岩国分会が要求している団体交渉に応ずべき義務があるのに、正当の理由もなくこれを拒否し、全日自労岩国分会の団体交渉権を踏みにじったものである。被告人は、重岡所長に対し、このような違法な行為をやめるよう説得をしたにすぎないのであって、被告人の行為は団体交渉権の行使又はこれに密接な行為であり、正当な行為であり、違法性を欠くものである。仮りに被告人が右説得行為の一部として重岡所長を押したとしても、それはその力の程度からみて攻撃的な有形力の行使ではなく、身体傷害を目的とした行為ともいえず可罰的違法性はないから暴行とはいえないのである。よって被告人は無罪である。」というものである。

(二)  これに対する当裁判所の判断はつぎのとおりである。

(1)  全日自労が職業安定所に対する関係において団体交渉権を有するか否かの点について検討するに(イ)失業者就労事業に就労する労働者は、原則として職業安定所の紹介する失業者でなければならず、しかもその失業者は職業安定所長が指示した就職促進の措置を受け終った者であって引続き誠実かつ熱心に求職活動をしている者でなければならないところ(緊急失業対策法一〇条一、二項、職業安定法二七条一項)その認定は職業安定所が行うというたてまえになっていること、(ロ)従って、職業安定所は、事後においても右認定要件を再審査して、特定の失業者を失対事業就労紹介対象者から除外し、あるいは紹介の停止処分をなしうるいわば解雇にも匹敵する権限を有していること、(ハ)また職業安定所長は、労働行政上の一機関として、失業者就労事業の事業主体に対し一定の指導又は調整の権限を有していること(緊急失業対策法第四章参照)等の諸点に徴し、失対労働関係においては、職業安定所は紹介機関であると同時に右の如き権限の行使により、失対労務者の労働条件を左右できる立場にある以上その限度内の事項に関しては、全日自労に対しその有する団体交渉権に応ずる義務ありと解するのが相当である。

(2)  しかしながら、たとえ団体交渉権があるからといっても、暴力を行使してまで相手方を団体交渉に応じさせようとすることが許されないのは当然である(労働組合法第一条第二項但書参照)。そこで、被告人ら全日自労岩国分会側のとった行為につき、その附随事情をも含めて、これをどのように評価すべきかという点につき検討する。

ところで、全日自労岩国分会は、県営失対問題及び昭和三九年七月分の失対事業への紹介方法に関しては、岩国職安に対し団体交渉権があるとして、これに応ずるよう強く要求していたこと、また同分会は、県営失対に紹介されても就労を拒否するという方針をとっていたため、組合員の中には就労日数が足りず、従って法定の保険料の支払ができなくなるため、日雇労働者健康保険法による保険の受給資格を喪失するおそれのある者がでてくることが予想される状況下にあり、県営失対問題の解決を急いでいたこと、しかるに前記認定のとおり、昭和三九年六月一一日及び一二日の話し合いの約束が、重岡所長や森政労働課長の所用のためとはいえ結果的には実現せず、その事後処理等から、被告人らをして重岡所長らは逃げたのではないかという疑念を抱かせるに至ったこと、判示六月一三日午後四時からの話し合い再開の冒頭における交渉人員をきめるための予備折衝において、森政労働課長が最初は全日自労岩国分会側の交渉人員を四名に制限するよう要求していたのを一時七名に制限するよう譲歩した後再び四名に制限するよう要求する等して一貫性を欠いたことにより被告人らが感情を害したこと、同日午後四時ころから、岩国警察署員が岩国職安付近に待機しはじめ(但し岩国職安から出動の要請があったという証拠はない)、かつ岩国職安自体の戸締り状況等が平常よりも厳重になされていたこと等から被告人ら全日自労岩国分会側が岩国職安に対し不信感をもちかつ緊張した状態にあったこと、その他の諸事情からみて、仮りに被告人らが重岡所長らに対しかなり強い態度でのぞみ重岡所長を難詰する言辞が弄されたとしてもそれは無理からぬ面があったことは否定できない。

しかしながら、被告人らの行為は右の限度をこえ、多数人が共同して集団の力でもって重岡所長を押したものであって判示の行為は右の限度内に止まる説得的行為といえるようなものではなく、明らかに人の身体に向けられた違法な有形力の行使であり、その行為の目的の正当性いかんにかかわりなく、社会的に許容される限度をこえているものであって、とうてい正当な行為として違法性を阻却されるものではなく、また可罰的違法性を欠くほど微罪でもないというほかない。

よって弁護人の主張は採用しない。

第六法令の適用

被告人の判示所為は暴力行為等処罰に関する法律第一条(刑法第二〇八条)罰金等臨時措置法第二条第三条第一項第二号に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役三月に処し、情状により刑法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田辺博介 裁判官 渡辺伸平 増田定義)

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